以前の記事
2012年 08月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 カテゴリ
フォロー中のブログ
リンク
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2011年 05月 08日
2年前に、キヨシローが亡くなったとき、当時好きで、よく聞いていた友人から、メールが入ってきた。「キヨシローは、もういない。」
私たちが過ごした時間も、同時によみがえってきた。 まだまだ青かった頃・・。;(^^) 文句なしに、今でもかっこいいし、今だからこそ、すごいって思える。 どんなに毒舌な歌を歌っていても、愛を歌ってるキヨシロー。 サマータイムブルース Love Me Tender by RCサクセション 政治色が強くなっていったタイマーズ時代。 実は命がけ・・・。 原発音頭 メルトダウン 憧れの北朝鮮・・。 by タイマーズ 天国で、何て言ってるのかな。 愛し合ってるかい? 愛し合って、原発を止めよう。 #
by nii-yan
| 2011-05-08 16:22
| にいやんのひとりごと
2011年 05月 03日
3月の大震災、原発事故から2ヶ月経とうとしています。
みなさま、どのような思いで、どのようにお過ごしでしょうか? 事態の深刻さは、変わりませんが、私たちは、今、こうして生きています。 いえ、生かされているといったほうが、しっくりくるかもしれません。 私は、今、岡山の地で平穏に暮らしていますが、災害で命を落とされた方、被災された方々、もしかしたら、それは、私だったかもしれないと思うと、ますます生かされている自分を、全とうしなければなりません。 私は、震災以降、自分の中で大きく変わったことがあります。 それは、祈ることを意識するようになったことで、「祈りとは、何なのか」を考え、感じるようになったことです。 これについては、前回のブログ「だいじょうぶの小石 祈りは神を変えない。祈りは自分を変える。」にも触れています。 真の祈りは、宗教や宗派を超えていきます。 キリスト教やイスラム教は、たったひとつの神が存在します。仏教は、創造主の神は存在しません。神道やヒンドゥー教は、八百万の神です。どれも表現が違います。しかし言ってみれば表現という言語が違うだけの話しです。祈りは、すべてに共通です。神に祈ることは、自分を問うこと、瞑想することなのです。 祈りは、これからもっと重要になってくるでしょう。 そして、皆それぞれが本来の祈りに立ち返ることで、我々の集合的な意識で、世の中は変わっていくかもしれない。そこからのアクション(行動力)は、真の理からくるものだからです。祈りの本来の力は、そこにあるのだと、今では、そう思うようになりました。 さて、5月のホメオパシー講座のお知らせです。 ◆セルフケア講座(全9回) テーマ:第9回「女性の不調に関するレメディ」 日時: 5月7日(土) 19時~21時 (2時間) 場所:Pinei (岡山市出石町) 受講料:1回 3,500円 ◆「お母さんのためのホメオパシー」(全6回) 第5回「神経・感情・女性の不調に関するレメディ」 日時:5月28日(土) 10時~13時 (3時間) 場所:Wacca Farm 錦海寮 受講料:単発の場合:(1回)5000円 *お子様連れでかまいません。簡単なおやつや昼食をご用意ください。 ◆同時開催!「初めてのホメオパシー」(1回完結) 一日講座「初めてのホメオパシー」も、同時開催しています。 聞いたことはあるけど、ホメオパシーがどんなものか知らない方、セルフケア講座を受ける前に、試しに受けてみたい方など・・のためにお勧めの一日講座です。 5月開催予定: 5月15日(日)10時~12時 in The MARKET 2000円(レメディ1本プレゼント) お話し:新居典子 (2008年ハーネマンアカデミーオブホメオパシーディプロマコース卒業。) 申し込み・お問い合わせ: homeo_okayama@yahoo.co.jp または、090-5376-3960 (ニイまで) #
by nii-yan
| 2011-05-03 21:03
| ホメオパシーのこと
2011年 05月 01日
随分も昔の話になりますが、私は、大学時代に、渡辺和子先生に出会いました。(彼女のプロフィールについては、後記をご覧ください。)
彼女が、岡山の大学で、学長だった時代、教鞭をとっていた時に、いくつかの講義を受けました。 大学時代の若い時期というものは、ある意味、妙な正義感があるくせに、クリスチャンのような規律を重んじる世界に、反発したくなったりするものです。だけれども、シスターでもあった渡辺和子先生は、他のシスターとは異才を放っていて、非常にカリスマ性があり、その講話は、学問的な難しいことは言わないのだけれど、心に響く魅力的なものでした。なので、私は渡辺学長の講義だけは、エスケープもせず、居眠りもせず、毎回受けていたのでした。 大学3年のある時、私の父の会社が倒産したことで、家計が厳しくなり、授業料の支払いが難しくなりました。そこで、私は大学の奨学金の申請をして、最後の一年間だけ、学費を免除していただくことになったのです。 その免除金は、当時学長が講演活動などで得た収益だったように思います。 そして、私は、そのお礼の手紙を、渡辺学長あてに、書きました。 どんなことを書いたのか、今ではもう憶えていないのですが、当時、二十歳そこそこの私は、若者特有の漠然とした虚無感と、有り余る情感の渦の中にいて、そんなことも手紙の中に、したためていたように思います。 そして、渡邊先生は、必ず、丁寧に返信をくださる方でした。 そして、最後には、必ず「お大切に。」と結ばれていました・・・。 渡辺和子先生は、何とも言えないほほえみをされる方でした。 廊下ですれ違うとき、ほんとうに素敵なほほえみをされるので、こちらは緊張して、恐縮してしまうほどでした。 でも、その瞳の奥には、身も凍るような厳しさも備えている方だったと、当時を振り返って、そう思います。 しばらく、渡辺和子先生のことは、心の奥底にしまったまま、最近は、あまり思い出すこともなかったのですが、今日、ある方のブログで、「だいじょうぶの小石」という話しを知りました。この話しは、渡辺和子先生の著書「忘れかけていたたいせつなこと」に書かれています。 その内容を、以下に転機させていただきます。 渡辺和子著「忘れかけていたたいせつなこと ほほえみひとつで人生は変わる」より 曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、「だいじょうぶの小石」というお話があります。 仕事がら病院に出入りを許されている一人の方が、掌に入るくらいの小さな小石をもっていて、これから手術を受けようとしている人に、その小石を握らせてあげるのだそうです。その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と書いてあるので、それを握らせてもらった人は、 「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう」 と喜びます。すると、その方は、 「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ」とおっしゃるのだ、というお話なのです。 この話を読んで、私のこれまでの考えは足りなかったと思いました。 これまでは「手術のためにお祈りしてください」と頼まれると「はい、わかりました。きっとお治りになりますよ。大丈夫ですよ」、そういう気持ちで「大丈夫」を使っていたことが多かったと思うのです。 祈れば神が私の願い通りにしてくださる、病気を治してくださる、夫の怪我を治してくださる、子供の暴力を止めてくださる、というのではなく、どっちに転んでも大丈夫、神は悪いようにはなさらないという信頼、腹のすわった心がまえ、そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づいたのです。 「祈りは神を変えません。祈りは私を変えます」。 私たちが祈ると神はきいてくださる。 まるで私たちの意のままになる神のように想い勝ちですが、私がどう願おうと、神はご自分の御心をお行いになるのです。 私は「欲しいもの」を願うけれど神は「要るもの」を下さるのです。 私は26年前、うつ病になりました。 50歳で脂が乗っている時、仕事が面白くて仕方がない、その時に欲しくも無い病気をいただきました。 その時、一人のカトリックのお医者さまが、 「シスター、運命は冷たいけれど、摂理はあたたかいですよ」 と慰めてくださったのです。 その当時は、その言葉の意味がわかりませんでした。 治りたい!治りたい!とだけ想い、神をうらみ、愚痴を並べ、そして暗い顔をしておりました。 私が唯一微笑むことの出来なかった時期です。 その後、運命と摂理の違い、それがようやく少しずつわかってきました。 この世の中に起こることをしようがないこと、降って湧いたような天災、人災つまり、運命として受け取るのではなく、同じ受け取るなら、摂理として神のはからいとして受け取る。 だから「大丈夫だ」ということなのです。 私の欲しかったことはその時には実現しないかもしれない、。 でもいつか神の時間に実現されるのだということ、そう信じて生きることが、すべてを摂理として受けとめるということです。 (略) 神の摂理として病気をいただいたということ、 その時はとても辛かったけれども、いまとなっては、あの時あの病気をしてよかったと思います。 病気をしたおかげで人に対して優しくなりました。 それまで人に対してきびしくて、あの人はだらしがない、なぜもうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、それを思わないで済むようになりました。 自分の弱さを知ったからです。 私が変わるために、神が摂理として病気をくださったのだと思います。 そして、そう思うことが出来るようになったことをありがたいと思います。 (略) 皆さんも、「だいじょうぶの小石」をしっかり握りしめて生きることが出来る方たちであって欲しいと思います。 時たまポロッと落としてしまってもかまいません。 どこに置いたかわからなくなって探し回ってもかまいません。 でもいつかその「だいじょうぶの小石」をもう一度見つけてください。 渡辺和子先生の講話を、何十年ぶりに思い出しました・・・。 「祈りは、神を変えない。祈りは自分を変える。」 私は、この言葉に、真実を見ます。 今の世の中が大変な時期に、祈りは、とても大切です。 でも、祈りに必要なこと、本当に大切なことは、神の摂理を受け取ることです。 渡辺シスターのほほえみの瞳の奥の厳しさは、そこにあったのだと、今になって、つくづく、そう思うようになりました。 私も、「だいじょうぶの小石」を、しっかりと握っていよう・・・、と思います。 ◆Sr.渡辺和子プロフィール◆ 昭和2年、北海道・旭川に生まれる。父は教育総監 渡辺錠太郎氏で、9歳の時に二・二六事件目前で銃弾に倒れるという体験をする。 雙葉高等女学校、聖心女子大学、上智大学大学院を修了。18歳で洗礼を受け、29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会。アメリカへ留学し、ボストンカレッジ大学院で哲学博士号を取得し、36歳という異例の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任。長年にわたり教育者として学生の心を支え指導する。50歳の時にはうつ病を経験。 1984年にマザー・テレサが来日した際には、通訳を務めるなど多方面で活躍。1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年には日本カトリック学校連合会理事長に就任。1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。 ◆著書・CD◆ 「美しい人に」 「心に愛がなければ」 「愛をこめて生きる」 「愛することは許されること」 「「ひと」として大切なこと」「目に見えないけれど大切なもの」「愛と祈りで子どもは育つ」「幸せのありか」「忘れかけていた大切なこと」「愛と励ましの言葉366日」「渡辺和子講話集」他 #
by nii-yan
| 2011-05-01 14:05
| にいやんのひとりごと
2011年 04月 21日
先日、Mixiを覗いていたら、
「内閣府原子力委員会」への国民の意見募集があることを知りました。 寄せられた意見は、個人情報を除いて、原文を新大綱策定会議メンバーに資料として、配布して、議論の参考にするそうです。 つまり、民意が直接、国に伝わるということです・・。 私たち一人一人ができることというのは、小さくてもたくさんあると思います。 こうして、自分たちの思い(意見)を伝えるということも、そのひとつですし、これからは、最重要課題です。 そして、これらは、国にだけではなく、個人ひとりひとりに伝えていくことも、同時進行しなければなりません。 なぜなら、本当のことというのは、あまりにも伝わっていないからです。 では、何を伝えていくのか・・・? これは、実は、簡単なことではありません。 なぜなら、表層的なものと、実体というのは、全く違うということは、私たちの世界では、溢れかえっているからです。 例えば、原発問題ひとつにとっても、マスコミや国の言うことと、本当のことは、全然違うという世間の批判は多く聞かれます。 それは、確かにそうなのだと思います。 そして、それは、そうなるための、それなりの理由(からくり)があるからです。 それも、表層的なものと、実体の違いの一例です。 でも、それだけではありません。 私は、もう少し、そこから先を深く考えてみたいのです。 そこを考えていると、実は、「伝える」、「伝わる」、というコミュニケーションには、とても大切な前提があることに、気づきました。 それを一歩間違えると、そこには、洗脳や情報操作のような危険も孕んでいますし、またそれに対する批判も出てきます。 まず大切な前提とは何でしょう・・・。 それは、まず自分の頭で考えることです。 それは、どこかの有名人(文化人)や学者が言っていたことや、どこかの憧れている人が言っていること、はたまた、どこかで読んだ本やTVやマスコミをそのまま鵜呑みにしてしまうのではなく、まず自分の頭で考えることです。 つまり、徹底的に、自分の肌で感じるくらい、考えるということです。 情報や伝達や人の意見は、あくまでも、そのための材料であって、自分の思考そのものではありません。 そのためには、もしかしたら、思考を一度、空っぽにする必要があるかもしれません。 そこには、直感や本能的なものが必要かもしれません。 思考というものは、決して、頭だけでするものではないはずです。 そういうふうに、考える努力をしていくうちに、それは、だんだんだんだんと、逆に自分の意見というものが、溶けて無くなっていって、実は、宇宙の摂理に繫がっていくことだけになる・・ように思うのです。 私は、それが「真理」だと思っています。 それは、特定の宗教とは、何の関係もありませんし、洗脳というものも存在しません。 ただ、「伝わる」のだと思うのです。 今必要なのは、そういうコミュニケーションだと思うのですが・・・ どちらにしても、難しいことですね。ふう。 #
by nii-yan
| 2011-04-21 14:06
| にいやんのひとりごと
2011年 04月 03日
前回紹介したかっこちゃんの「宇宙(そら)の約束」の挿入歌。
聞けば、聞くほど、いい詩(うた)なので、私の覚書きのためにも、もう一度紹介しますね・・。 満点の星 宇宙(そら)を巡り はくちょう座の十字を目で追って 僕たちと宇宙に浮かんでいると あなたがぽつりとつぶやく あなたと私 どうしてここに 一緒にいられるのだろう 銀河の流れで 指でたどり 宇宙のひとつでいよう 宇宙(そら)にかかる 億万の星 海で光る 億万の砂 億万の花 億万の思い そして つながる命 あなたと私 どうしてここに 一緒にいられるのだろう 時の流れの その中で 宇宙のひとつでいよう ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちは、本来は、ひとつであったはず。 でも神様は、人間が生まれてくるとき、その記憶を、きっと消されてしまった。 なぜなら、肉体を持たなければ、それを味わうことができないから。 だから、わたしとあなたは、仲良くもなるし、喧嘩もするし、喜びだって、悲しみだって、憎しみだってある。 でもね、あなたとわたしが、一緒にいられる奇跡 花が花である奇跡 石が石である奇跡 わたしがわたしである奇跡 それ以上の奇跡って本当はあるのかしら。 すべては、そこに用意されている。 宇宙のひとつでいよう 宇宙のひとつであることを思い出そう 宇宙のひとつであることに心を澄まそう #
by nii-yan
| 2011-04-03 16:07
| にいやんのひとりごと
|
ファン申請 |
||