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2009年 05月 22日
今年に入って、私の生活のリズムが変わっていっています。 そのひとつに、週1回ワッカファームの畑にお手伝いにいってることがあります。 2丁ほどの広大な畑の敷地までの道のり。 今の季節は、新緑がキラキラと日差しを浴びて、喜びに満ち溢れていて、 つい最近までは、ツツジや藤の花が見事でした。 ウグイスも、鳴き声が、すっかり上達して、「よしよし」って感じ。 一緒に同行するショコラも、おしりをフリフリさせて、楽しくってうれしくって、しょうがない。 もう全身から、いろんな刺激がいっぺんにやってくるので、 思考は、追っつかない。 ただただ、それに身を預ける瞬間。 それが、とっても心地いい時間。 こういう空間にやってくると、何だか「還ってきた」って感じがするんです。 あったかい土を触っていると 人の体を触っている感覚がする 太陽の日差しは 確実に時間を教えてくれる 一瞬の雨や風は 畑に何かを語りにきている旅人だ 畑に立つ1本の木は 小さな門番 ヤギやニワトリたちは 彼らの命の営みの中で 日々暮らしている 種をまいていると このちっちゃな種の中に すべての物語が込められていることに驚く 葉っぱや花の多彩な造形や色に どんな絵にもかなわないアートがある 何故 一寸のくるいもなく季節は 巡ってくるのだろう どこにも分断はなく ひとつの循環の中にある 神様の偉大さに ただただ驚くのだ 一切が完璧で ただそこに在る くらくらと眩暈さえやってくる瞬間 これは、まさしく贈り物。 私たちが、この美しい世界に生きている贈り物なのだ。 私たちは、この贈り物を正しく受け取っているだろうか。 やさしく、さりげない、この贈り物を。 #
by nii-yan
| 2009-05-22 21:16
| 日々のこと
2009年 05月 17日
毎週日曜日、曹源寺という禅寺では座禅会が とりおこなわれます。 私も休みの日には、よく行っていたのですが、 最近は、仕事で足が遠のいていました。 今日は、久々のオフの日曜日。 座りに行ってきました。 朝から、しとしとと降る雨。 新緑の季節は、こういった雨がよく似合います。 この雨のおかげで、若芽がいっそう鮮やかに、 またお寺の静けさがいっそうひきたてられるのです。 このお寺のよいところは、いつ行っても、開かれた雰囲気で、 自由に、好きなだけここに居ていいよ、と感じさせてくれるところです。 座禅もそうですが、私の楽しみのもうひとつは、 座禅会が終わった後の、お菓子とお抹茶、 そして、老子のお話なのです。 通い始めてからは、かれこれ10年ぐらいになるのですが、 個人的には、ホメオパシーの勉強し始めた頃から、 この老子のお話が、とくに響くようになって・・。 西洋から生まれたホメオパシーと禅が何故? って思われるかもしれませんが、 これらは、実に大きくリンクするんですね。 私にとって、このお寺の風情と座禅会、 お抹茶と老子のお話の、豪華なセットは、 本当に贅沢な時間なのです。 床の間に活けてある菖蒲の花の紫が 緑に見事に映えていました。 今日、印象に残ったお話は、 「自覚」についのお話しでした。 私たちが、自分についてを自覚するとき、 女であるとか、妻であるとか、母であるとか、 仕事であるとか、社会的なものの価値、立場で 自分を見ようとします。 これらは私たちにとって、 拠りどころになるものでもありますが、 実は、私たちの本質とは異なるものです。 これらがあることで、 我々は自分が見えなくなる原因になったりもします。 「私とは何か?」といった本質的な「自覚」は、 ひとつは、社会的なラベルをはずすことから始まるのです。 内面を解放し、生命そのものに立ちかえる・・。 ひとりの人間の価値に知恵をもつことこそ、 自覚という、純粋な本質があるのです。 このお話を聞いたとき、 結局は、一切が「空」、エネルギーなのかなあ、 とふと思ったわけです。 (これがイコールだとは言えないでしょうが・・) 「あなたは、誰ですか?」と質問されることと、 「あなたは、何ですか?」と質問されることは、 大きく印象が変わってきます。 後者は、明らかに本質的な答えを要求されます。 結局、最後に残るのは「存在そのもの」なのかなあ、と。 これと、ホメオパシーとどう関係あるって? ホメオパシーは、人間観察そのものです。 自分を含め人を観る「obseve」とき、いろんな条件付けはできるけど、 最後は、やはりエネルギー、「存在のあり方」なのですね。 まあ、そこのレベルで観ることは、ほとんど神業なのですが、 このことを自覚しているのと、していないとでは、 ものごとの囚われ方が大きく違ってくるような気がするのです。 まあ、ホメオパシーに限らず、 私たちは、いかに自分を条件づけて生きているかを まざまざと感じさせられてしまうわけです。 ありのままでいられない、 ひとと比較したり、区別したり、差別のこころも ここから生まれるのでしょう。 とっても深い問題です。 大乗仏教の祖である、竜樹菩薩のお話も興味深かった。 現在のいろんな仏教の宗派ができ、 世界中に仏教が広まったのは、彼の功績があるのです。 それは偉大な功績でした。 と同時に小乗仏教からすると、 本来の仏陀の教えから遠のいたことになる。 宗派ができるというのは、元が幅広いからなのですね。 細分化されるということは、 すなわち洗練され、哲学されることでもあるのです。 本当は、理念のない実践はあり得ない。 と同時に全体から、離れることにもなるのです。 な~るほど~。 こんなことに感動して、唸ってる私って・・ 「あなたは何?」 #
by nii-yan
| 2009-05-17 17:44
| にいやんのひとりごと
2009年 05月 16日
自分の人生の立ち位置を確認するとき 人は 自分の転機を考える あのときは こうだったなあ こんなこと考えていたなあ と 私も いろんな転機を考えると 10年ひと昔なんだなあ としみじみ 出版屋で 文章書いてたときもあった 広告屋で スーツにヒール履いてるときもあった パン屋で 粉だらけになって 来る日も来る日もパン焼いてるときもあった そして、今は・・ 今は亡きキヨシローが「10年なんて、ゴム消しさ」って言ってたなあ 「10年ひと昔っていうけど それもまたチョー消し~♪」って 私も10年チョー消し~ってこと よくやってるのよね;(^^) でも その点と点は 必ず繋がる それが線となることは 今はわからずとも 自分の魂は知っている そして 過去も未来も 今ここに生きるのだと 永遠のブルースマン キヨシローは、知ってたんだな 「10年ゴム消し」 なんだかロックな夜。 #
by nii-yan
| 2009-05-16 01:56
| にいやんのひとりごと
2009年 05月 16日
こんにちは。
にーやん 裏ブログスタートします。 裏ブログって 表はどこ?って感じですが ある意味 表は裏の表れであって 実は表も裏もないのですが・・ 今までの「にいやんパン徒然日記」の幅を少し広げて カフェのこと パンのこと 食べ物のこと 畑のこと ホメオパシーのこと 日々のこと つれづれ つらつらと 綴ってみようと思います。 晴れの日は晴れの日を楽しみ 雨の日は雨の日を楽しみ 風の日は風の日を楽しみ うれしきことも かなしきことも それを楽しみ また何も無きところは 無きことを楽しむ あるがままを あるがままに これ楽しむ 日々是好日(にちにちこれこうじつ)と名づけました すべては繋がることを自分の中で確認する作業です 今まで繋がっていた人 これから繋がる人 どうぞよろしくお願いします。 #
by nii-yan
| 2009-05-16 00:59
| にいやんのひとりごと
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