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2012年 08月 05日
お久しぶりです。
前回のブログ更新から随分経っています。 この間にいろんなことがあり、環境が変わり、PCを開く機会もめっきり減ってしまっていました。 日々の体験を、文章で表現していくことは、私にとっても、よい循環になるのですが、普段の畑作業や、手仕事たちは、つくったものそのものがそれを表現してくれているので、言葉をわざわざ使う必要性がだんだんなくなっていきます。それは、楽であると同時に、どんどん全体性を帯びてきて、ますます言葉がなくなっていくものです。 では、言葉が必要ないかというと、やはりそうではないんですね。 私は、言葉によって触発されたり、気づきをもらった体験もたくさんあるので、言葉での表現も大事にしたいと思っている一人です。 今日は、ほんとに思い立って、ブログをアップしてみようと思う気になりました。 それは、仕事でレシピをいろいろ探しているうちに出合った人、著書からです。 その方は、国産有機農産物を使った製菓製パン業を主宰したり、自宅でパン教室をされたりしている林 弘子さんという方です。 最近読んだ「スローなてづくり調味料」とかは、目からウロコでした。 私が興味をもって仕事としてきたことと、彼女がやってきたことが、とても似通っていることも、共感することのひとつですが、何よりも感動するのは、彼女が体験してきたことを表現するその力です。 ひとつのレシピの中にも、彼女の思いや経験がぎゅっと詰まっていて、そしてその経験が、ひとつの普遍的で全体性をもったものになって、私の中の何かが感化され呼び覚まされるのです。 こう書いてしまうと、とても大げさに聞こえることかもしれないけど、自然や季節と寄り添いながら生きるというのは、そういうものだと日々感じています。 今日も、図書館で借りてきた彼女の著書を読んでいると、自然酵母と発酵の話について触れていた箇所に出会いました。 私も、天然酵母のパンを10年以上やっていたこともあったり、今は味噌や麹など日本古来の発酵に触れていると、彼女と全く同じ境地に至ります。こういう感性は、やはり実際の体験を通して育まれていくものだと思うのです。忙しい毎日に追われていると、こういった文章に出会っても、忘れてしまうことが多いので、覚書きも兼ねて、ここにアップしてシェアしようと思い立ちました。 酵母は「つくる」よりも「育てるもの」 私は専門的な学者や研究者ではありませんので、土台にあるのはすべて自分の経験だけです。情報に恵まれていなかったせいでいろいろ実験することができたし、失敗もできたのです。(中略) 情報と知恵は似て非なるものです。情報は外側から入ってくるものですが、知恵は内側から生まれてくるものです。情報だけに頼ると、自身はマニュアルやレシピの数字だけを取り入れる、ただの受け皿になってしまいます。あらゆる発酵食づくりにおいて、そんな受け皿がある限り、本質的な意味では何も生み出すことはできません。発酵食はマニュアルだけではつくれません。つくるというよりもむしろ、生活環境の中から自然と生まれてきちゃうものですし、そしたらこちらは頑張って育てるというものなのです。 (中略) マニュアル化できない自然発酵種 ひとつだけ断言できることは、小麦粉〇g、水〇ml、湿度〇℃、時間〇時間という、〇に入る数字は「厳密には言及できない」ことです。小麦粉と水をこねた生地は、それがゆるくてもかたくても、温度や湿度が何度でも何%でも何時間寝かせたとしても、酵母の落下と着床、そして生命活動がある限り、必ず発酵することには変わりありません。そしてその生命活動を阻害するようなことを行えば、生地は発酵ではなく腐敗の方向に進みます。これだけが普遍の原則だと思います。つまり、発酵してうまくできるのは酵母のおかげ、失敗するのは人間のせいなのです。 酵母種は物言わぬ微生物群ですが、働きかけにば必ず応え、裏切られることは絶対にありません。私が過去にしでかした失敗の原因はすべて、自分に側にありました。勘違い、無知、思い上がり、焦り、怠け、手抜き、などがその理由です。小さな生き物たちは、生命が循環する自然の掟の中で、規則正しく生き続けています。 私たち人間は、彼らの掟や規則の数%も知らないのだと思います。「種が悪かった」のではなく、自分の何かが悪かったのでしょうね。酵母種は、そんなことをいつも教えてくれるのです。 林 弘子著「酵母でつくる焼き菓子レシピ」より抜粋 ね、単なるレシピ本じゃないでしょ?女性的なんだけど、男前なんだよね。かっこいい~。 #
by nii-yan
| 2012-08-05 10:31
| 日々のこと
2012年 03月 14日
私の通っているワッカファームで、この春から、新たな試み、ワークショップをします! 自分たちの手で、種を撒き、苗を畑に定植し、草刈りをし、成長を見守る中、収穫の後は、それを、加工します。自分たちで撒いた小さな種が、どんなふうに育って、どんなふうに私たちの口に入っていくのか。考えただけでもワクワクするけど、考える以上にスーパーリアルに体験できる、素敵なワークショップ。 移り行く四季折々の畑で、心地よい汗を流し、土に触れ、太陽や風や、水や、鳥たちや、木々のもと、本当は、私たちが“育てている”のではなく、私たちが“育てられている”ことに、身体やこころで、感じる瞬間が、きっとあるでしょう。 月に一度、ワッカファームに足を運び、私たちと一緒に畑作業をし、最終日には、加工品を作ります。小さなお子様連れでも、もちろん大歓迎。一緒にやろう。やらなきゃ損ソン。 メニュー: ◆ 3月スタート「イタリアントマト ~ 自家製太陽のトマトソース」 日程:第1回 3月26日(月)午後 苗移植 ほか ( *トマトはスケジュールの都合上、移植からのスタートになります。) 第2回 5月3日(木)午後 定植 ほか 第3回 6月5日(火)午後 草取り、トマト管理ほか 第4回 7月12日(木)午前 収穫ほか 第5回 8月9日(木)午前~午後(お昼持参)加工トマトソースづくり ◆ 6月スタート 「大豆 ~ 味噌づくり」 日程:第1回 6月28日(木)午後 種まき ほか 第2回 7月26日(木)または9月6日(木)午前 草刈り ほか 第3回 10月11日(木)午後 枝豆収穫 ほか 第4回 11月15日(木)午後 大豆収穫 ほか 第5回 1月17日(木)午前~午後(お昼持参) 加工 味噌づくり *月に1回、全5回のコースです。全工程3時間程度。 *通年での参加をお勧めしますが、単発での参加も、随時相談に乗ります。 *天候によっては、日程が変更になる場合があります。その場合、5日前までには事前にご連絡します。 *都合の悪い日程は、他の日に振替えることも可能です。要相談。 *参加者の方には、時間や集合場所など、詳細を追ってご案内します。 料金: 全5回通しで 10,000円 *毎回、季節の野菜のお土産つき。コース最後は、加工品をお持ちかえり。 単発の場合 2,500円 申し込み・お問い合わせ: 担当:090-5376-3960 (ニイ) 瀬戸内市邑久町尻海4396 0869-22-3924 (ワッカファーム錦海寮) 090-8713-0533(タツヤ) ブログ:waccafarm.exblog.jp/ #
by nii-yan
| 2012-03-14 20:45
2012年 01月 26日
只今、大寒真っ只中。 今日の午後は、雪も吹雪いて、我が家の庭も、うっすら雪化粧。 霜降る畑の野菜たちも、寒さに耐えながら、大地のぬくもりの中で、いのちを育んでおります。 先日のほんとーに久々の雨から、少しずつ私の中も浄化されつつあり、こうした雪が舞う寒さの中にも、春を見出せるようになってきています。 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」にも、そんな一説があった。 春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がくる。そうして確実にやってくる自然の営みに、我々人間がどれだけ癒されるか。どんなことがあっても、それがある限り、私たちは生きていける。 確か、そんな内容だった・・。 日は確実に長くなっているし、短い時間のふとした暖かさに春の気配を感じ、鳥たちのさえずりも、軽やかになり、光の粒粒も、明るくなっています。 春は嬉しい。でも、だからこその冬のありがたさでもあります。 季節の巡りと同じように、自分の存在の中にも季節があることを、それはまた、感じる肉体があるからこそであって、どれもこれもありがたいものなのです・・。 感覚は、痛みや苦しみを伴うものであると同時に、自然や大地との繋がりを与えてくれます。 この感覚の不思議さ、奥深さを、もっと感じたくなりました。 それを意識的に行うには、瞑想は、とてもいいツールのような気がして・・・ ここから本題の告知です・・。 不定期ですが、今年から満月瞑想会を、自宅にて開放しようかなと。 第1回目は、2月8日(水)19時~21時 瞑想会のあとは、簡単な食事(玄米ご飯、一汁一菜)付き。 そのあと、時間がある人は、オプションも、あるかも・・です。 参加費は、ドネーション(寄付)または、一品持ち寄り。 参加ご希望の方は、niinyan8864@yahoo.co.jpまたは、このメッセージにて。 まだまだ寒いので、暖かい格好でどうぞ・・。 #
by nii-yan
| 2012-01-26 00:20
| 日々のこと
2012年 01月 03日
あけましておめでとうございます。 みなさま、どのように新しい年をお迎えでしょうか? ワッカは、今、冬真っ只中。 寒い寒い凍りつく冬が巡ってきています。 それでも、冬には冬の美しさがちゃんとあって、霜が降りる寒い朝も、野菜たちは着々と命を育んでいるし、山の木々も、木枯らしの中で、心静かに深く深く呼吸をしています。鳥や鹿の野生の動物たちは、夜はどんなふうに過ごしているんだろうと思いが馳せられるくらいに、そこには、身近に生命という存在があります。 自然の中に分け入って生活していると、そこには見えない命の息吹をたくさん感じることができます。 私のほうは、日々の忙しさの中、あまりブログも更新せず、でもそれは、それなりの理由があって、昨年の後半、身体のある変調から、すべてが停滞してしまい、ブログを書くどころか、読むことも、考えることもできなくなっておりました。 昨年、引越しをして住まいや環境が変わったことも、大きかったかもしれません。 ある時期から、嗅覚が全く失われて、多くの感覚器官に、ある種の麻痺が起こりました。 感覚器官は、嗅覚だけでなく、それと同時に心身ともに、様々なことが感じることができなくなってしまったのです。 自分をとりまく感覚に雲がかかったように感じられて、喜びも感情も、リアルに活き活きとしたものではなく、過去に味わった何かとして、思考がどこか遠く記憶しているものとして、捉えているだけです。 その思考も、鈍いので、文章を書くことはもちろん、メールのチェックも、文章を読むことも、考えることもできない。行き慣れているはずの場所も、道がわからなくなる。ひとりでいると、ひたすらぼーっとしていて、と同時に、心の視野もどんどん狭くなり、自由でなくなり、何かに束縛されていて、何もかもが窮屈で、自分が無価値なものの存在に感じられていました。 これは、病院に行っても、自律神経なんとか・・という病名がつく類のものであり、はたから見ても、そんなに気づかれるものではありません。 でも、本人は、明らかに不自由を感じています。 自由であることは、不自由になって、はじめて知ることであり、健康というものも、病になってはじめて何たるかがわかることです。人間の肉体も、制限されてはじめてわかることがいっぱいあります。喜びも痛みも冬の寒さも、感覚があってこそ、この世で肉体を持つからこそ、わかることです。私は、感覚こそが、人生を色彩豊かにするものであることを、身を持って初めて知りました。今までにない体験です。感覚は、ほんとうは、眼に見えるものでも、物差しで測れるものでもありません。非常に微細なもので、でも確かにそこにあるものです。 病というものは、そういった感覚に、何かの違和感を感じ始めることから始まるのですね。 さて、どうしようか・・。 ホメオパシーを使うにも、自分でレメディを選ぶだけの思考力が残っていません。 アロマやバッチフラワー、漢方、鍼灸、クオンタム、友人に相談しながら、自分でも、いろいろ試しながらの日々です。これは今でも・・。 無気力な自分の中にいて、でも、ココロのどこかで、これは、明らかに神さまからの宿題であることに気づいています。宿題というのは、子どものときにあるだけではないんですね・・。とほほ。 病というものが、どういうものなのかを体験させることかもしれないし、この感覚の障害の症状が、自分を守るココロの現われなのかもしれない。または自分自身でいることを拒否しているのかもしれない。本来の自我(真我)がそれを、しなくてもいいんだとOKを出せば、病は、何らかの形で消えてくのかもしれない。 いやいや、そんなことを考えているうちは、まだまだなのかもしれないな・・。 自身を含めてすべての存在そのものが、良い悪いを超えて、愛おしいものであること、遮る雲の向こうに限りない青空があること、宇宙があることを信じて、前に進むしかありません。 まだまだ魔女修行中なのです・・。 魔女は、現実に生きるもので、寒い冬は、寒いと感じることが、一番大切なのですね この宿題が、いつかギフトに変容するよう、これからも邁進していくしかありません。 今年も、みなさま、ぜひとも、よろしくお願いいたします・・・。 PS.新年に、毎年ひいているハワイのマナカード、今年は、3枚ひきました・・。 最後に出てきたのは、40番「KANE」生命の神「創造」でした。 わたしは、これを新しい日の夜明けとして、捉えています。 2012年が、みなさまにとって、光輝くものでありますように・・。 #
by nii-yan
| 2012-01-03 20:44
| 日々のこと
2011年 11月 03日
詩人 金子みずず
Kちゃんが、停滞気味の私に、童謡集を貸してくれた。 覚書きのためにも、心に残った詩を何篇か。 畑にいると、一層こころに響く。 「あま つち うみ の いのち」という言葉がぴったり。 瑞々しい詩の数々・・。 蜂の神さま 蜂はお花のなかに、 お花はお庭のなかに、 お庭は土塀のなかに、 土塀は町のなかに、 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 世界は神さまのなかに、 そうして、そうして、神さまは、 小っちゃな蜂のなかに。 私と小鳥と鈴と 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面を速くは走れない。 私がからだを揺すっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように、 たくさんの唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 星とたんぽぽ 青いお空の底ふかく、 海の小石のそのように、 夜がくるまで沈んでる、 昼のお星は眼にみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ。 見えぬものでもあるんだよ。 散ってすがれたたんぽぽの、 瓦のすきに、だァまって、 春がくるまでかくれてる、 つよいその根は眼にみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ。 見えぬものでもあるんだよ。 大漁 朝焼け小焼けだ 大漁だ。 大羽鰯の大漁だ。 浜はまつりのようだけど 海のなかでは 何万の 鰯のとむらい するだろう。 #
by nii-yan
| 2011-11-03 19:32
| にいやんのひとりごと
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