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2011年 05月 01日
随分も昔の話になりますが、私は、大学時代に、渡辺和子先生に出会いました。(彼女のプロフィールについては、後記をご覧ください。)
彼女が、岡山の大学で、学長だった時代、教鞭をとっていた時に、いくつかの講義を受けました。 大学時代の若い時期というものは、ある意味、妙な正義感があるくせに、クリスチャンのような規律を重んじる世界に、反発したくなったりするものです。だけれども、シスターでもあった渡辺和子先生は、他のシスターとは異才を放っていて、非常にカリスマ性があり、その講話は、学問的な難しいことは言わないのだけれど、心に響く魅力的なものでした。なので、私は渡辺学長の講義だけは、エスケープもせず、居眠りもせず、毎回受けていたのでした。 大学3年のある時、私の父の会社が倒産したことで、家計が厳しくなり、授業料の支払いが難しくなりました。そこで、私は大学の奨学金の申請をして、最後の一年間だけ、学費を免除していただくことになったのです。 その免除金は、当時学長が講演活動などで得た収益だったように思います。 そして、私は、そのお礼の手紙を、渡辺学長あてに、書きました。 どんなことを書いたのか、今ではもう憶えていないのですが、当時、二十歳そこそこの私は、若者特有の漠然とした虚無感と、有り余る情感の渦の中にいて、そんなことも手紙の中に、したためていたように思います。 そして、渡邊先生は、必ず、丁寧に返信をくださる方でした。 そして、最後には、必ず「お大切に。」と結ばれていました・・・。 渡辺和子先生は、何とも言えないほほえみをされる方でした。 廊下ですれ違うとき、ほんとうに素敵なほほえみをされるので、こちらは緊張して、恐縮してしまうほどでした。 でも、その瞳の奥には、身も凍るような厳しさも備えている方だったと、当時を振り返って、そう思います。 しばらく、渡辺和子先生のことは、心の奥底にしまったまま、最近は、あまり思い出すこともなかったのですが、今日、ある方のブログで、「だいじょうぶの小石」という話しを知りました。この話しは、渡辺和子先生の著書「忘れかけていたたいせつなこと」に書かれています。 その内容を、以下に転機させていただきます。 渡辺和子著「忘れかけていたたいせつなこと ほほえみひとつで人生は変わる」より 曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、「だいじょうぶの小石」というお話があります。 仕事がら病院に出入りを許されている一人の方が、掌に入るくらいの小さな小石をもっていて、これから手術を受けようとしている人に、その小石を握らせてあげるのだそうです。その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と書いてあるので、それを握らせてもらった人は、 「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう」 と喜びます。すると、その方は、 「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ」とおっしゃるのだ、というお話なのです。 この話を読んで、私のこれまでの考えは足りなかったと思いました。 これまでは「手術のためにお祈りしてください」と頼まれると「はい、わかりました。きっとお治りになりますよ。大丈夫ですよ」、そういう気持ちで「大丈夫」を使っていたことが多かったと思うのです。 祈れば神が私の願い通りにしてくださる、病気を治してくださる、夫の怪我を治してくださる、子供の暴力を止めてくださる、というのではなく、どっちに転んでも大丈夫、神は悪いようにはなさらないという信頼、腹のすわった心がまえ、そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づいたのです。 「祈りは神を変えません。祈りは私を変えます」。 私たちが祈ると神はきいてくださる。 まるで私たちの意のままになる神のように想い勝ちですが、私がどう願おうと、神はご自分の御心をお行いになるのです。 私は「欲しいもの」を願うけれど神は「要るもの」を下さるのです。 私は26年前、うつ病になりました。 50歳で脂が乗っている時、仕事が面白くて仕方がない、その時に欲しくも無い病気をいただきました。 その時、一人のカトリックのお医者さまが、 「シスター、運命は冷たいけれど、摂理はあたたかいですよ」 と慰めてくださったのです。 その当時は、その言葉の意味がわかりませんでした。 治りたい!治りたい!とだけ想い、神をうらみ、愚痴を並べ、そして暗い顔をしておりました。 私が唯一微笑むことの出来なかった時期です。 その後、運命と摂理の違い、それがようやく少しずつわかってきました。 この世の中に起こることをしようがないこと、降って湧いたような天災、人災つまり、運命として受け取るのではなく、同じ受け取るなら、摂理として神のはからいとして受け取る。 だから「大丈夫だ」ということなのです。 私の欲しかったことはその時には実現しないかもしれない、。 でもいつか神の時間に実現されるのだということ、そう信じて生きることが、すべてを摂理として受けとめるということです。 (略) 神の摂理として病気をいただいたということ、 その時はとても辛かったけれども、いまとなっては、あの時あの病気をしてよかったと思います。 病気をしたおかげで人に対して優しくなりました。 それまで人に対してきびしくて、あの人はだらしがない、なぜもうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、それを思わないで済むようになりました。 自分の弱さを知ったからです。 私が変わるために、神が摂理として病気をくださったのだと思います。 そして、そう思うことが出来るようになったことをありがたいと思います。 (略) 皆さんも、「だいじょうぶの小石」をしっかり握りしめて生きることが出来る方たちであって欲しいと思います。 時たまポロッと落としてしまってもかまいません。 どこに置いたかわからなくなって探し回ってもかまいません。 でもいつかその「だいじょうぶの小石」をもう一度見つけてください。 渡辺和子先生の講話を、何十年ぶりに思い出しました・・・。 「祈りは、神を変えない。祈りは自分を変える。」 私は、この言葉に、真実を見ます。 今の世の中が大変な時期に、祈りは、とても大切です。 でも、祈りに必要なこと、本当に大切なことは、神の摂理を受け取ることです。 渡辺シスターのほほえみの瞳の奥の厳しさは、そこにあったのだと、今になって、つくづく、そう思うようになりました。 私も、「だいじょうぶの小石」を、しっかりと握っていよう・・・、と思います。 ◆Sr.渡辺和子プロフィール◆ 昭和2年、北海道・旭川に生まれる。父は教育総監 渡辺錠太郎氏で、9歳の時に二・二六事件目前で銃弾に倒れるという体験をする。 雙葉高等女学校、聖心女子大学、上智大学大学院を修了。18歳で洗礼を受け、29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会。アメリカへ留学し、ボストンカレッジ大学院で哲学博士号を取得し、36歳という異例の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任。長年にわたり教育者として学生の心を支え指導する。50歳の時にはうつ病を経験。 1984年にマザー・テレサが来日した際には、通訳を務めるなど多方面で活躍。1990年にはノートルダム清心女子大学の名誉学長、及びノートルダム清心学園の理事長に就任。1992年には日本カトリック学校連合会理事長に就任。1996年、69歳の時にカルカッタの修道会本部を訪れる。 ◆著書・CD◆ 「美しい人に」 「心に愛がなければ」 「愛をこめて生きる」 「愛することは許されること」 「「ひと」として大切なこと」「目に見えないけれど大切なもの」「愛と祈りで子どもは育つ」「幸せのありか」「忘れかけていた大切なこと」「愛と励ましの言葉366日」「渡辺和子講話集」他
by nii-yan
| 2011-05-01 14:05
| にいやんのひとりごと
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