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2011年 03月 27日
今、畑では、たくさんの種を播いています。 明日という日のための、未来のための種まきです。 2011年3月11日は、私たち日本人にとって、いや世界中の人々にとって忘れ得ない日になってしまいました。つらく、苦しく、痛みを伴う体験です。 世界が崩壊するのか、再生するのか、誰しもが固唾を飲んで見守る中、それと、同時に、この現象は、世界の外で起こっていることだけなのか・・・、私たちは、いったいどこに向かおうとしているのでしょう、きっと誰しもが、自問自答していることでしょう。 我々は、巨大な自然災害のうちには、ある時は、なす術もないほどの、ちっぽけな存在です。無情にも思える出来事は、しかし、これは、ある意味、畏れる神の存在を知ることでもあります。 その反面、2011.3.11の日から、私たちは、神と調和をしない人間の「業」である巨大な核の竈をシンボルとして、今まさに、それを現実として、突きつけられています。 今世の中は、震災以上に原発の問題に持ちきりです。 しかしながら、深く突き詰めて考えれば考えるほど、核そのものは、決して悪ではないはずです。 私たちの手で、巨大化してしまった脅威や悪の塊(と思っている)原発という存在を思うと、そしてまた、それらを全くありのままに享受している、地球上の植物や動物たち生き物、鉱物や空気や水たち自然界あらゆるものを思うと、涙が出てきます。 果たして、我々の内なる神(魂)は、何を語っているのでしょうか・・。 これからは、原発反対派、賛成派を超えた、第3の道が自ずと必要となってくるに違いありません。私たち人間の智慧は、本来のところへ還っていくべき時です。多くの人がそれに気づく時とも、感じています。 私たちの存在そのものも、それ自体がきっと第3の道を目指しています。それを知るために、私たちは、肉体を持って生まれてきたはずです。 我々が新たに、肉体を持ったまま、生き直すには、ことの善悪を超えたことを体験しなければならないことをひしひしと感じています。人間は、明らかに愚かであり、しかし明らかに素晴らしい。原発の問題と、震災の被災地の方々の振舞いや世界中からの援助の手や祈りを見ていると、本当にそう感じます。 私たちが知らないアフリカ、キベラスラムの子どもたちも、日本のために、涙を流して祈ってくれているのです。 「祈り~キベラから日本へ」 今こそ、世界中の人たちが、その共通の意識を感じるときのように思うのです。痛みは、まさに、そのためのものです。 どうか、今のこの痛みや闇は、光の影であることを、そう願わずにはいられません。 友人のmixiの日記で、放射能物質で汚染された土壌を浄化するには、ひまわりや菜の花が非常に優れていることを知りました。 「原子力とイエローの色相」(この日記は、それだけでなく、イエローという色調そのもののエネルギーの本質、意味についても触れていて、大変興味深いです・・。) ひまわりや菜の花は、黄色い花を咲かせます。「黄色」の花は、人の傷(心や身体)を癒してくれる植物として、昔から知られています。ホメオパシーのレメディにも、怪我のレメディとして、黄色い花がたくさんあります。被災された多くの方々にも、きっと助けになるレメディがあるでしょう。 荒れ果てた荒涼とした土地に、一面のひまわり畑・・・。 昔、ヨーロッパ大陸を車で横断したときに、どこまでも続くヒマワリ畑の風景を思い出します。澄み切った青い天を貫く、まさに、明るい太陽のような光の風景でした。 上のヒマワリの写真は、まるでキベラの子どもたちのようではありませんか・・・。 そして、私たちは、花を咲かせるべく、今、明日に続くための種を播いています。 祈りの種です。
by nii-yan
| 2011-03-27 16:26
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