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2010年 09月 16日
ギラギラした太陽が大地に降りそそぎ、そして、乾いた大地に、雨が降らない。 そうしたことが、2ヶ月以上続いた。 もともとゆるかった地が、コンクリートのようにガチガチになって、野菜たちは、それでも懸命に根をはり、雨を乞いている。 雨乞いも、水の神さまにお参りに行っても、それでも、まとまった雨が降らない。 これを地球環境や温暖化のせいにするのは、簡単だけど、なんかやっぱり違う。 私の中で、何かがくすぶっている。 そんなとき、星野道夫という人に、特集のTVで、再び出会った。 アラスカの自然を、そこに営む人々を撮り続けた人。 多大なるファンがいるその人は、写真家として有名だけど、カレの内面の世界観は、私は、今までそれほど知らなかった。 カレは動物写真家と言われることを嫌ったらしい・・・。 カレが撮りたかった、表現したかったことは、循環する生命、その中に暮らす動物たち。そして、その循環の中にいる人間を撮りたかったのだ。カレは単なる自然を撮っていたわけでもなんでもなく、最終的には、自分自身を撮り続けていた。 イヌイットの人たちの暮らしの中に入っていきながら、人々の生命を支える狩猟という形の暮らし。一頭のカリブーに、人々は、儀式を行い、自然の神様に祈りを捧げ、それをみなで分け合う。そこで、星野は思う。 「私は、カリブーになる。カリブーは私になる。」 こういう言葉は、私たちの日常生活では、なかなか言えない。 星野道夫は、狩猟民のもつ自然との関わりに、強烈に惹かれていった。 そこに、ひとつの大切な答えがあると、感じていたのだ。 狩猟民の暮らしは、ある自然との関わりにおいて、引き受けなければならない偶発性がある。その日に、必ず獲物がとれるわけではない。様々な条件が整ってはじめて成り立つものである。 そういった偶発性は、人間にある種特有の精神世界を培う。 それは、人々の「生かされている」という想いである。 星野はいう。 「私たちが生きてゆくということは、誰かを犠牲にして自分自身が生き延びるという、終わりのない選択の日々である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくいその約束を、最もストレートに受け止めなければならないのが狩猟民である。約束とは、言い換えれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえてもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。」 お金を払えば、スーパーに行って、野菜や肉だって、水だって、買える。 雨を乞う植物たちや虫や動物たちは、そんな水は飲めない。 畑をやっている私たちは、少しでもそれを感じることができると思っていたけど、それでも、その切実さは、きっと100分の1にも満たない。 だって、私たちは、お金を払って、水や食べ物を買うことができるから。 イヌイットの人々の切実な暮らし。 神様に生贄や祈りを捧げる。自分たちの大切なものを捧げる祈りをしている。 それは、迷信とかそんな次元のものではない。 それは、実は、自然と対話しながら、自分と対話しているのだ。 自分の中の真実と話をしていているのだ。 そのことを、私は初めて感じた。 何かを犠牲にして、私たちは、生きている。 でも、それをリアルに実感することは、今の私たちには、なかなかできない。 私もそのひとりだ。 イヌイットやアイヌやネイティブアメリカンの人たちは、そうやって暮らしてきた。 私たちは、確実に、何かを失ってしまった。 自分の存在濃度がどんどん薄くなってしまって、リアルに生きていくことができなくなって、生きる意味を失いかけてしまっている人が、どれほどいるだろうか。 エコとか、地球環境とか、そんな言葉には、たくさんの手垢がついてしまって、もはやそこにはリアルさは存在しなくなる。 地球のことを言いながら、自分の日常を忘れている。 大いなるものに思いを馳せられなくなると同時に、自分という小さなしずくに、実感をもてなくなってしまっている。 私は、自分の内面のもうひとつ奥を、覗きはじめた。 もっともっと、奥にいくと、雨が降るような気がしたから・・・。 昨日の夜中、激しくたたく雨音で目が覚めた。 雨が降っている・・・。 これは、夢なのか。 幻なのか。 「いいえ、これは贈り物よ。」 と誰かがいった。 涙が出た。 ワッカの畑にも、雨が届いていますように・・・・。
by nii-yan
| 2010-09-16 12:23
| にいやんのひとりごと
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